冷たい泉に素足を浸して

昔は時間なんか気にしないで、いつまでも縁側で寝てられると思ってた。

最近はちょっとした時間でも何かをしないと、という気持ちになります。さすがに予定がつまってないと何していいかわからないという友人には及ばないが。

明日ライセンスさん北海道ですよねー私も行くんですけどw行き先はZEEPじゃないんだけどね。家族での最後(きっと)の旅行です。さすがに就職してからの遠出は2、3年無理だろうという予想で。お腹いっぱい食べてきます。所詮、観光より食い気です。なのに女の子の日に突入してしまいました、最悪。腰がいてえ。ということでしばし更新出来ないかと。

なんかだらだら書いてたら長くなったので隠します。

暇だったからGyaOでいろいろ見てたんだけど、その中のレビュー?かな、それ見て見る気しなくなったんですよね。ブラマヨさんなんだけど、なになに、「電車で隣になったおばあちゃんの漏らした話」とな。うーん、そのことについて否定してた方がいらっしゃたんですけど、その意見はもちろん納得させられるし、かといって吉田さんが悪いわけでもないし。お笑いってそういうものの対極になるときも多いと思っています。だけど、私はその批評で見れなくなりました。=その話、「私は」笑えない。
今の若い人で、特に結婚していなくて、特に男の人で、お年寄りの介護や最期を経験していないと、やっぱり実際の感情は沸いてこないよね。皆が皆じゃないけれど。私はその話を聞いていないから、その話そのものを否定するわけじゃないです。わかりにくいかもしれないけど、ね。何度も言うけど、道徳的にと否定していたら笑いなんて生まれない。
でも、病院じゃなく、家族が最期を看取った場合、それは笑えないよね。
例えば、お風呂に汚物が浮いていたとき、トイレに間に合わなくて漏らしたとき、咀嚼筋や骨が衰えてしまってご飯をぼろぼろこぼしたとき、何も言わずそっと処理することが出来るでしょうか。例えば、私の何倍も生きている人が「情けない。ごめんな」と言って肩を震わせて泣いたとき、きっと何もすることはできないんだろう。

母は、特に私に泣き言や愚痴なんて言わなかった。「私たちだって、いつかそうなるんだよ。全ての人間の未来の姿。避けては通れない。今までよくしてもらった分、最期まで支えてあげないと」と言って笑った。そして、「この姿を汚いものを見るように見ている人や、笑うような人は、未来の自分を汚いと思ったり笑ってるんだよ」と。

うん、長く書きすぎました。しかも終わりの文章を見つけられなくて逃げました。
ごめんなさいね。